2004-05-30 足の指を広げられる靴
今、はいている靴3足。
。そんなに丁寧にはく方でもないと思うのだが、ホントに感心する。これで3足交換してはけるぞ。
携帯のCMで松下由樹が最後に「ナス・ナス」と言うのがカワイイというか、愛矯があってわが家で好評。
で、もしかして他にもそう思っている人いるかなと思って探したら、ちゃんといるんですね。とりあえず3件見つかったけど、中でもウェブログに書いている人がいたので、トラックバックで書いてみました。
仲間由紀恵も出てたのね。 あのCMのおかげで「ダーリンダーリン」も覚えたし、なかなかインパクト大きいな。
auだよね?
いまだにトラックバックがわかってなくて、相手の「トラックバックURL」をこちらに設定したから、先方にこの記事の先頭が表示されて、ここへのリンクが張られることまではわかるんだけど、こちらからあちらへのリンクが自動的にはつかないのがなんか不合理。
松下由樹ついでだけど、「水10」(あれって、前半と後半は別番組なの?)で坂井真紀とやってたコント、じやない「投書再現ドラマ」では、キャラがまるで虻川だった。で、坂井が伊藤さおり。
「占い」に関して「科学的根拠」がどうのこうのという話をするのは野暮というものだろう。「信じている」という人自身、本気で信じているかどうかは問題じゃなくて、「楽しんでいる」のだから。
じゃあ「ナンバーズ」に必勝法があると思っている人たちはどうなんだろう。
webの印刷物で70枚近いのがあったので、製本しようということになった。といったって、大したことするわけじゃないんだけど、それ用のノリとか、はさんで押えるためのクランプとかは前に買ったのだ。
先日キャベンディッシュの話で「フロジストン」のことを書いたんだけど、これは英文で phlogiston。ふつうなら「フロギストン」だなぁ、と思いつつ、たまたま読んだwebに "pronounced flow-JISS-tunn"などと書いたあったものだから、「おう、フロジストンか」と思ってそう書いていたけど、これで検索するとイマイチ情報が少ない。もしやと思って「フロギストン」にしたら大量に出てきた。そういえば、前に読んだものにはそう書いてあったよなぁ。イカンね、西洋かぶれは。(それに、flow-JISS-tunnを忠実に読めば「フロゥジスタン」じゃないか)。というわけで、これからは「フロギストン」でいきます。
今日のGoogleによれば
「フロギストン」 485件
「フロジストン」 178件
珍らしく野球の試合を見に行ってきました。縁あって中学生の都大会。順子からは「硬式」と聞いていたけど、音からするとどうみても「軟式」。(そもそも硬式と軟式の違いを理解していたかどうか不明)
キャベンディッシュの論文が届いた。
"Experiments on Air" Henry Cavendish, F.R.S. (1784-1785)
気体に関する実験の話で、まだ、フロジストン(phlogiston)の概念が生きていた頃。
inflammable air = 水素
dephlogisticated air = 酸素
fixed air = 二酸化炭素
foul air = 窒素
などと呼ばれていた時代。
キャベンディッシュは 「ものが燃えた時に、固定空気(fixed air)ができるのは、空気から分離されるか、生成されている、と言われているが、本当だろうか」と考えていろいろ実験している。
12月に続いて、拝水管の清掃。前回は、流れなくてどうしようもなくなって、ウチだけ来てもらったのだが、今回は、マンション全体。前回と同じ人が来てくれて「この前やったから大丈夫ですね」というようなことを言って、簡単に終ろうてしていたが、「逆からもやるんですよね」と念をおしてやってもらったら、また、かなりかたまりが出てきた。今回は、こちらもあまり気合がはいっていなくて、デジカメも用意していなかったのが残念。次回は1年後になるだろうから、ちょっと不安ではある。
「こんな話読みたくもない」と言われそうだけど、そもそも、そういう日記なんです。
スケプティクス用のココログも作ったのだけど、結局なんでもここに書いているなぁ。
Japan SkepticsのNewsletterに初めて投稿する記事に、アメリカにおける「創造論と進化論」に関する話を書いた。元のネタはSkeptic magazineに載っていたNational Center for Science Education(NSCE)のDr. Eugenie Scottが書いた論文。その内容について、ちょっとわからないところがあったので、Scottさんにメールしてみたところ、1日で返事が来た、それも丁寧な内容。一般的に知られているような有名人ではないけれども、NCSEのサイトによると「推奨講演料 $1000」とのこと(講師によっては$250から)。
例によって、有名人(とぼくが思っている人)と接触できるとちょっとうれしい。
『科学の倫理学』 内井惣七
『科学哲学入門』 内井惣七
伊勢田哲治さんの本がきっかけで、知った内井さんの本2冊。上はbk1で、下はamazonのマーケットプレイスにて。
『科学哲学入門」はちょっと読みにくそう。当時大学院生だったらしい伊勢田さんが手伝っているらしいけど、その伊勢田さんの本で置き換えられることになるのか?
『 Mathematician Plays the Stock 』 John Allen Paulos
『Fooled by Randomness 』 The Hidden Role of Chance in the Markets and Life Nassim Nicholas Taleb
この2冊を注文したのはPaulosの本の和訳を買った時だから、3月頃かな。別に新しい本でもないのだけど、版が変わるところだったのか、ずっと放置されていたのが突然やってきた。
Paulosの本は、ちょっと間が空いたこともあって今すぐは読む気はしないが、もう一冊の Fooloe by Randomnessはなかなか面白い。Paulosの本で参照されていて知ったのたと思うが、見つからない。
ココログは携帯からでも書けるんですよ、というデモをしました。
「文章は書けないの?」と聞かれたので、「今は書かなかったけど、書けます。あとで修正もできます」と答えたので、こうして書いています。
ガンジー君へのリンクも貼っておきます。
最近買った本。とりあえず備忘録。
ウェブや本で見つけて、すぐその場でamazon行っちゃうから止まらない。
■「超能力」授業入門 講座・超常現象を科学する (7)
田中 玄伯 (著)
■大人の科学研究室―好奇心を満たす珠玉の考察記録37 I・O BOOKS
似非科学研究会 (著)
■魅惑の似非科学
似非科学研究会 (著)
■ Guinness World Records 2003
■ How We Believe: Science, Skepticism, and the Search for God
Michael Shermer
■ The Science of Good and Evil:
--Why People Cheat, Gossip, Care, Share, and Follow the Golden Rule
Michael Shermer
■Catcher in the Rye
J.D. Salinger
『疑似科学と科学の哲学』 伊勢田哲治著
名古屋大学出版会 2800円+税
進化論と創造論のページで紹介されていたもの。全く知らなかったけれども、これはかなり面白い。
「科学と疑似科学」ではなく「疑似科学と科学」としたところがすごい。
例によって、まだ買ったばかりで少しか読んでいないのだけどまずは書いちゃいます。
章立ては、以下のとおり。
「50年後の夢」に続いて、高橋秀俊のエッセイの紹介。 ただし、こちらは1981年だから、ついこの間、亡くなる4年前の作品。
「物理の世界には『右と左』の区別はない」(細かくは例外はあるが)という話は、へぇー。
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右と左
高橋秀俊
右とか左とか言ってもイデオロギーの問題とは関係ない,物理的な右と左の話である。
「50年後の夢」を登録して、さて誰に知らせようか、と思い、遅まきながら田崎晴明さんにメールしたところ、たちまち返事が来て、なんて「すでに拝見して、リンクしました」とのこと。あちゃー、ちゃんと「雑感」みてからメールするんだった。日頃は「リンクに依存した記事は避ける」と言っているという田崎さんが、特別にリンクして解説をしてくださっている。って、別にぼくの文章じゃないんだけどね。
あそこにリンクが貼られるとアクセス増えるだろうな、と思ったら案の定スゴイ。まあ、元が元だから、増え方もスゴイのだけど、ふだんなら1日20くらいのところが460とか来ている。「リンク元」毎の集計を見ると、ほとんどがあそこから。あ、でも「ブックマークから」というのも多かったのがちょっとうれしい。
さて、誰か今からの「50年後の夢」を書く人はいないのか。
「元良勇次郎調べ」の方は、いよいよ本家筋の親戚を紹介した。はじめからそうしてれば、どうということないという話もあるが、ずいぶん楽しませていただきました。
佐藤達哉さんにはいずれ血液型のお話を聞かねばなるまい。
以下の文章は1956年に高橋秀俊が「電信電話」という雑誌(おそらく電電公社の社内誌か何か)に発表したものです。
「50年後」なんて、まさに「夢のような話」を書いたのだと思いますが、すでに48年が過ぎて、まもなくその「50年後」になります。ちょっとフライングですが、50年前にどんなことを思っていたのか、興味ある方はご覧ください。
『オートメーションの時代』
= 五○年後の夢 = (『電信電話』 1956年2月)
高橋秀俊
「オートメーションで作った○○石鹸」という新聞広告が出るくらいで、オートメーションは日本の近頃の流行語の一つになつたようだ。この所、この言葉の生れ故郷のアメリカも顔負けだとは最近アメリカから帰つて来たある人の話であるが、果して○○石鹸の工場やその他にも本当のオートメーション工場が日本にあるかどうかは知らない。つまり各部分の精密な調整を自動的にやるだけでなく、全体の状況を絶えず見まもり、綜合的に判断して各部の調整を変えるよう指令を発したり、事故を発見して自動的に対策を講じたり、つまり人間が高度の頭悩的作業としていた仕事をすべて機械にやらせるのが本格的オートメーションである。このような本格的なオートメーションを工場や事務組織に応用することは欧米でもこの一二年ようやく緒についた所のようであるか、最近の様子を見ていると、もう四、五年の間に、オートメーションは大企業の大半に浸透して来ると思われる。
オートメーションというといかにも目新しいが、そのようなことは、ある方面ではずいぶん古くから行われていた。ある方面とは他でもない、電話の自動交換である。自動交換機のする仕事は、番号を「記憶」したり、空線を「探し」たり、インパルスを「数え」たり、いろいろと人間的な言葉で表現されるようにかなり高度の頭悩的な仕事を行つて来た。電電公社で最近実用化した新方式の電報自動中継装置にしても、先程試作されたパラメトロン式電子交換方式にしても世界に誇るものであるが、今後、オートメーション全盛の時代となつても、電信電話事業はその第一線を行くことを期待したい。
では将来、たとえば五○年後に電信電話事業はどんな風に発展するのだろうか。五○年後の東京に田舎者のようにほうり出されたつもりにして、夢をえがいて見たい。
× × ×
二○○六年の東京の家々は、他のことはさておき、電話のない家は一軒もないのに感心する。他の都市はもちろん、日本全国偶々(ママ)までそうだというが、五○年前に電燈のない家がないのと同じ程度だろう。ぜいたくな家では室ごとについている。もつとも五○年前でも会社、官庁はそうだつたから驚く程のこともない。それより、どの電話機のそばにもあるタイプライターのようなキーのならんだ小さな機械が気になる。実はこれも五○年前でも大会社などで使つていた頁式テレタイプ(印刷電信機)なのだそうだ。電話機には、指をつつこんでまわすダイヤルはついていない。では一つこの電話(兼電信)機の使い方をきいてみよう。
東京都内の電話の数はざつと三、四百万だろうから電話帳は大変だろうと思うかどこにも電話帳は置いてない。あるのは始終かける相手の番号の抜書帳だけである。その中にない家へかけるときはまず先方の局の「番号調べ」を呼び出す。電話局の受持区域と行政上の区とは一致しているから、局を覚えるのは容易だし、局番号でなくて局名略号をテレタイプのキーでたゝいて呼ぶのである。そうして番号調べが出たら、相手の姓名をそのまゝタイプでたゝけば、すぐに相手の番号をさがしてつないでくれる。また同時にその番号をテレタイプで送つてくれるので、手許に印刷されて出るから、必要なら抜書帳にうつして置けばよい。なお局名もわからないときは中央局の番号調べをたのむこともでき、また同姓同名があるときは、そのことを返事して来るから、更に職業の略符を送つてやる。それでもだめなときはどうするかは長くなるのできかなかつた。
ところで、これだけのことをするのに番号調べ係が何百人もいるかというと、実は、これは全部自動的で機械がやるのである。だからすべてのやりとりは声ではなくて、テレタイプでやるわけである。もつとも希望によつては、先方からの返事は人工発声機で声を送つてもらうこともできる。
電話は都内だけでなく、日本全国、さては外国までも同じようにしてかけられ、どんな遠い所でもものの十秒もかゝれば通じる。
こうしてどの家にも電話があるようになつてからは、電報というものは自然消滅となつた。それに事務的な通信は大部分テレタイプですませるから、手紙を書くこともあまりいらなくなつた。もつとも情緒テンメンたるラブレターの類はテレタイプではどうも、という人が多いので郵政省は、これらと小包とを扱って辛くも余命を保つているとか。
ところで、以上は電話の用途のほんの一端にしか過ぎない。五○年前にも、電話で時報や天気予報の特殊サービスが好評だつたが、今ではそのようなサービスの方がむしろ本業といつてもよい程である。
テレタイプがついているので、先方が不在でも、印刷で用件を伝えておくことができるのは至極便利である。また、不在にする人が、室を出る前に局にそのことを知らせておけば、よそからそこへかけたとき、すぐに「不在」という返事が来る。もつともこれは五○年前試作した装置にもついていたので大して新奇ともいえないが、今は更に、出かけた先まで教えることもできるようになつている。
また、相手が不在のとき、電話局の録音機に用件を録音してもらうこともできるのであるが、印刷電信が普及してからは、これの利用者は少くなつたそうである。
電話はまたいろいろの質問に答えてくれる。天気予報や時報はもちろんのこと、株価、日用品の値段、列車の時刻、映画館の案内からその映画館の現在の入りの状態まで知らせてくれる。もつと専門的なこととなると、「百科事典局」を呼べざ、地名、人名の説明や外国語の単語の訳語など百般のことを教えてくれる。これらもまた、ほとんど全部が機械で、つまり人工頭悩がやつてくれるのである。
テレタイプで送つてもらつて、手許に帳簿を作らせることもできる。もちろん、いろいろな不正、盗難を防ぐために、特殊な合符を使うなどあらゆる防止策が講じてある。しかし、こうしてすべての取引が白日にさらされては、税務署に対してのことはともかくとして、一家の主婦はヘソクリもできず、男の方も、ちよつと飲み屋に立寄つても帳簿につけられてしまうのではかなわないという声が強く、やはり現金の完全な追放とまでは行きそうもないようだ。
模写電送の機械をもつていれば、電話線で写真や図を送つたり受けたりもできる。もちろん天然色で送受する機械もできている。
五○年前頃はあちこちで実験されていたテレビ電話は、大会社、官庁などでは大分使い出したが、施設費がかなりかかるので、まだ家庭で使う所まではいつていない。しかし、電話で打ち合わせておいて公衆電話まで出かけて行けは誰でも相手の顔を見ながら話ができる。このように極度に発達した通信組織、広くいえは情報処理の組織の特色は、どこかで発生した情報が、それに関係のあらゆる部面に迅速にほとんど一瞬に伝達され記録されてしまうことだ。たとえば、どこかで子供が一人生れて、その出生届が(もちろんテレタイプで)役所へ出されたとする。それは磁気テープとして役場に記録されると同時に県庁、内閣統計局へも電信で送られ、そこにある人口統計の記録に直ちに算入される。だから統計局へ行けば毎秒毎秒(といつても届けの出される時についてであるが)どこで幾人が生まれ、幾人死んで行くかが、いながらわかるということである。昔のように何年に一度かの国勢調査ではじめて正確な人口が(それも何カ月か後になつて)判明するのとは大きな違いである。同じように入学、卒業、就職、昇進等のあらゆる情報がそれぞれ関係方面へ時を移さず送られて直ちに算入される。だからもうこれから普通の意味の国勢調査はやらないだろう。
このようにいつでも斬新な正確な統計が手許にあるということは、いろいろな国家的計画を樹てるのに不可欠なことと考えられている。またこのよう資料をもとにして、数学的に、最も合理的な計画をたてることはオペレーションズ・リサーチといつて五○年前頃にも大分研究されていたが、今では電子計算機が自由に使えることと相まつて、これは非常な成果をあげている。生産計画なども非常に能率がよくなつて、昔あつたような生産過剰になつては操業短縮をやるような現象は見られなくなつた。
天気予報も各地から送られてくる気象の数値が中央気象台の計算機に直接入って自動的に計算されるので、予報は全く機械がやつてくれる、これも通信と計算機との結びついたよい例だろう。
このように通信が発達したための興味ある現象は一時危機を叫ばれていた交通地獄が、忘れたように消失したことだ。つまり、電話で何でも用が足りるので、誰もあまり出歩かなくなつたからである。また官庁や商社などもわざわざ都心地に集まる必要もなくなつたので、それらは東京周辺一帯にひろがつて、みな、その周囲に職員住宅をもつているから、通勤者は昔の三分の一ぐらいしかいない。
効能はこのくらいで大体わかつたので、次にこの至れり尽せりのサービスをする「情報公社」の現場つまり電話局や計算局などを見せてもらう。
どこの現場も似たりよつたりで、五○年前の電話局の機械室のように、機械が沢山ならび、その間を電線の束往来しているが、ちがうのは、ここは全く静かなことだ。どこにもガタガタ働くものはなくたゞ、パネルにならんだラップが目まぐるしく明滅するだけである。技師の話では、このランプもほとんど不要なのだが、万一故障のとき、しらべる助けになるからついているのだそうだ。
蓋をあけて中を見せてもらう。何か細い線が、縦横、斜に無数に、しかし整然と織りなして、それらの交点に、何か玉のようなものがあるようだがよく見えなかつた。とにかく恐ろしく細かくできていて正しく脳の中を見ているような気がした。これらの装置は大部分が記憶につかわれるのだそうである。なるほど、電話局の機械は、その局の何十万の加入者の電話番号簿を全部暗記(?)しているから、立ち所につないでくれるのだとうなづいた。
これだけの機械が故障をおこしたら大変だろうときいて見たが、このように、動く部分のない「電子的」な装置にしてから、保守はまるで楽になり、故障もほとんどないそうだ。しかもすべての装置に少しづつ予備があり、故障になると自動的に予備のものに切換るので、ほとんど業務に支障をきたさない。そこで数十万回線を受持つ大きな局でも局員は二人か三人しかいない。
銀行、保険会社などにあるのも大体似たような機械だそうだ。たゞこちらは人間を相手の仕事なのでやはりかなり多勢の人がいるが、計算、記帳のような機械的仕事は一切しないし、新入社員は札束を数えることを練習する必要もない。
所で一番心配になつたのは、こんなに何でも機械がやつたら大部分の人は仕事がなくなるだろうということである。きいて見ると、たしかに無職者はずいぶん多いそうだ。今では仕事といえば教育者、科学技術者、芸術家が数の上では大部分である。しかし社会保障制度が行き届いているから、これらの人も相応の生活はしていて、生活の不安はないのである。もつとも、こうなるまでには一時はずいぶん混乱した時代もあつた。今はとにかく生活の保障だけはできて、多少落付いたが、失業問題は解決したのでは決してないといわれている。「人はパンのみにて生くるものにあらず」という古いことわざが、今日、つまりすべての人にパンが与えられるようになつた今日ほど明瞭にわかつたことはないと人々はいう。失業者をどう導くかは五○年前とは別の意味で為政者の最大の課題となつて残つているのだ。
まだ色々知りたいことがあつたが、こゝで夢はさめてしまつた。さめてから考えれば、夢は要するに夢で理屈に合わない所が多いのは当り前である。もつとも、それにしては、妙に理屈つぽい夢らしくない夢だつたようにも思えるが、また、これはかなり楽観的な夢だというかも知れない。
オートメーションの発展は、原子力と共に自然の勢であつて、誰もこの潮流を止めることはできないのだとすれば、少くとも、この夢が現実となることを望んでやまないのは筆者だけだろうか。この夢とは正反対の悲惨な現実がもたらされる可能性がないとは誰も保障できないのだから……[東大助教授]
A夫妻と「酒パーティー」。 今回は特に「花酵母」を使ったお酒を揃えた。
「来福」 純米吟醸(アベリア)
「来福」 大吟醸(シャクナゲ)
「とちあかね」 純米吟醸
「まぼろし花」 純米 (ナデシコ)
4種類も花酵母が揃うのも珍らしいだろう。
その他、
「一の蔵」山廃純米
「亀の翁」大吟醸
「豊盃」純米吟醸
ほんの少しづつ、と思ってもこれだけあれば量も飲むか。
順子が頭痛くなるわけだ。
料理のことも書かないと作った人に申し訳ないのだが、今日はとりあえずここまで。
TVをつけて、見るべきものがない時など放送大学をつけておくことが多い。 この日は心理学の講座。部屋の片付けしながらで、声だけきいていたら「それでは佐藤先生・・・」と言っている。心理学で佐藤というと、いつかサイエンスサイトークに来て血液型を話をしていた人かな、と、かすかに思ったが、「佐藤」などというありふれた名前でよくそんなことを思ったものだ。しばらくして画面を見ると、多分「その佐藤さん」らしい。「日本の心理学の歴史」の話をしていて「心理学を勉強している人でも『日本における心理学の歴史』については知っている人は少ないでしょう」と言っている。要するに、〈他の学問と同様〉外国から入ってきたものが多いから、ということらしい。そして、日本の心理学の基礎を作った中のひとりとして「元良勇次郎」という名前が出てきた。おっ、これは・・・
この日を休みにしてしめて7連休、か。
はきなれたヤコフォームを買い替えようと、石神井公園の「ふみや」に行く。
3年前にヤコフォームをカタログハウスで買った時、サイズ合わせが甘かったのか、
足が痛くてたまらなくて、販売元のアキツトレーディングにまで電話して相談してた
あと、「靴伸ばし機」で何とか引き伸ばしたところ具合良くはけている。が、「次はシューフィッターのいる店で」と思って、ちょうど2年前に「ふみや」に行って、買ったのが、今、はいている「フィン・コンフォート」。こちらもはき心地はよいのだが、水がしみてくるのが困る。今日は、この水しみ対策と、ヤコフォームの買い替えのつもりだったのだが、ヤコは色とサイズの在庫がなく、かわりに出してきてもらった「ハイランダー」にした。そういえば2年前も、ハイランダーにしようかと迷った末にフィン・コンフォートにしたのであった。 ハイランダーは、「一枚皮」のために、色落ちすることがある、というが、その分当たりが柔らかくて心地よい。
フィン・コンフォートの水漏れの方だが、電話で聞いた時から「防水はしてないから、漏れるのは外れだと思ってくれ。対策は雨の日にはかないこと」と言われていたのだが、まず、どこが漏れているかの調べるために敷物をはがして、薄紙を入れて、靴をバケツにつっこむ。まるでパンク探しのよう。結局、下の方の縫い目が怪しいということになって、そこに塗るためのワックスをもらった。溶かして塗るのが一番だが、固型のまますりこんでもいいかもしれないと。
ヤコフォームは、買って1年ほどで底を貼り替えて、今また底のゴムが割れてしまったので、もう買い替えのつもりだったのだが、「ふみや」のおやじが「交換に出しましょう。もしかしたらクレームでタダになるかも」ということで、修理に出してきた。
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