オートメーションの時代 --50年後の夢--
以下の文章は1956年に高橋秀俊が「電信電話」という雑誌(おそらく電電公社の社内誌か何か)に発表したものです。
「50年後」なんて、まさに「夢のような話」を書いたのだと思いますが、すでに48年が過ぎて、まもなくその「50年後」になります。ちょっとフライングですが、50年前にどんなことを思っていたのか、興味ある方はご覧ください。
『オートメーションの時代』
= 五○年後の夢 = (『電信電話』 1956年2月)
高橋秀俊
「オートメーションで作った○○石鹸」という新聞広告が出るくらいで、オートメーションは日本の近頃の流行語の一つになつたようだ。この所、この言葉の生れ故郷のアメリカも顔負けだとは最近アメリカから帰つて来たある人の話であるが、果して○○石鹸の工場やその他にも本当のオートメーション工場が日本にあるかどうかは知らない。つまり各部分の精密な調整を自動的にやるだけでなく、全体の状況を絶えず見まもり、綜合的に判断して各部の調整を変えるよう指令を発したり、事故を発見して自動的に対策を講じたり、つまり人間が高度の頭悩的作業としていた仕事をすべて機械にやらせるのが本格的オートメーションである。このような本格的なオートメーションを工場や事務組織に応用することは欧米でもこの一二年ようやく緒についた所のようであるか、最近の様子を見ていると、もう四、五年の間に、オートメーションは大企業の大半に浸透して来ると思われる。
オートメーションというといかにも目新しいが、そのようなことは、ある方面ではずいぶん古くから行われていた。ある方面とは他でもない、電話の自動交換である。自動交換機のする仕事は、番号を「記憶」したり、空線を「探し」たり、インパルスを「数え」たり、いろいろと人間的な言葉で表現されるようにかなり高度の頭悩的な仕事を行つて来た。電電公社で最近実用化した新方式の電報自動中継装置にしても、先程試作されたパラメトロン式電子交換方式にしても世界に誇るものであるが、今後、オートメーション全盛の時代となつても、電信電話事業はその第一線を行くことを期待したい。
では将来、たとえば五○年後に電信電話事業はどんな風に発展するのだろうか。五○年後の東京に田舎者のようにほうり出されたつもりにして、夢をえがいて見たい。
× × ×
二○○六年の東京の家々は、他のことはさておき、電話のない家は一軒もないのに感心する。他の都市はもちろん、日本全国偶々(ママ)までそうだというが、五○年前に電燈のない家がないのと同じ程度だろう。ぜいたくな家では室ごとについている。もつとも五○年前でも会社、官庁はそうだつたから驚く程のこともない。それより、どの電話機のそばにもあるタイプライターのようなキーのならんだ小さな機械が気になる。実はこれも五○年前でも大会社などで使つていた頁式テレタイプ(印刷電信機)なのだそうだ。電話機には、指をつつこんでまわすダイヤルはついていない。では一つこの電話(兼電信)機の使い方をきいてみよう。
東京都内の電話の数はざつと三、四百万だろうから電話帳は大変だろうと思うかどこにも電話帳は置いてない。あるのは始終かける相手の番号の抜書帳だけである。その中にない家へかけるときはまず先方の局の「番号調べ」を呼び出す。電話局の受持区域と行政上の区とは一致しているから、局を覚えるのは容易だし、局番号でなくて局名略号をテレタイプのキーでたゝいて呼ぶのである。そうして番号調べが出たら、相手の姓名をそのまゝタイプでたゝけば、すぐに相手の番号をさがしてつないでくれる。また同時にその番号をテレタイプで送つてくれるので、手許に印刷されて出るから、必要なら抜書帳にうつして置けばよい。なお局名もわからないときは中央局の番号調べをたのむこともでき、また同姓同名があるときは、そのことを返事して来るから、更に職業の略符を送つてやる。それでもだめなときはどうするかは長くなるのできかなかつた。
ところで、これだけのことをするのに番号調べ係が何百人もいるかというと、実は、これは全部自動的で機械がやるのである。だからすべてのやりとりは声ではなくて、テレタイプでやるわけである。もつとも希望によつては、先方からの返事は人工発声機で声を送つてもらうこともできる。
電話は都内だけでなく、日本全国、さては外国までも同じようにしてかけられ、どんな遠い所でもものの十秒もかゝれば通じる。
こうしてどの家にも電話があるようになつてからは、電報というものは自然消滅となつた。それに事務的な通信は大部分テレタイプですませるから、手紙を書くこともあまりいらなくなつた。もつとも情緒テンメンたるラブレターの類はテレタイプではどうも、という人が多いので郵政省は、これらと小包とを扱って辛くも余命を保つているとか。
ところで、以上は電話の用途のほんの一端にしか過ぎない。五○年前にも、電話で時報や天気予報の特殊サービスが好評だつたが、今ではそのようなサービスの方がむしろ本業といつてもよい程である。
テレタイプがついているので、先方が不在でも、印刷で用件を伝えておくことができるのは至極便利である。また、不在にする人が、室を出る前に局にそのことを知らせておけば、よそからそこへかけたとき、すぐに「不在」という返事が来る。もつともこれは五○年前試作した装置にもついていたので大して新奇ともいえないが、今は更に、出かけた先まで教えることもできるようになつている。
また、相手が不在のとき、電話局の録音機に用件を録音してもらうこともできるのであるが、印刷電信が普及してからは、これの利用者は少くなつたそうである。
電話はまたいろいろの質問に答えてくれる。天気予報や時報はもちろんのこと、株価、日用品の値段、列車の時刻、映画館の案内からその映画館の現在の入りの状態まで知らせてくれる。もつと専門的なこととなると、「百科事典局」を呼べざ、地名、人名の説明や外国語の単語の訳語など百般のことを教えてくれる。これらもまた、ほとんど全部が機械で、つまり人工頭悩がやつてくれるのである。
テレタイプで送つてもらつて、手許に帳簿を作らせることもできる。もちろん、いろいろな不正、盗難を防ぐために、特殊な合符を使うなどあらゆる防止策が講じてある。しかし、こうしてすべての取引が白日にさらされては、税務署に対してのことはともかくとして、一家の主婦はヘソクリもできず、男の方も、ちよつと飲み屋に立寄つても帳簿につけられてしまうのではかなわないという声が強く、やはり現金の完全な追放とまでは行きそうもないようだ。
模写電送の機械をもつていれば、電話線で写真や図を送つたり受けたりもできる。もちろん天然色で送受する機械もできている。
五○年前頃はあちこちで実験されていたテレビ電話は、大会社、官庁などでは大分使い出したが、施設費がかなりかかるので、まだ家庭で使う所まではいつていない。しかし、電話で打ち合わせておいて公衆電話まで出かけて行けは誰でも相手の顔を見ながら話ができる。このように極度に発達した通信組織、広くいえは情報処理の組織の特色は、どこかで発生した情報が、それに関係のあらゆる部面に迅速にほとんど一瞬に伝達され記録されてしまうことだ。たとえば、どこかで子供が一人生れて、その出生届が(もちろんテレタイプで)役所へ出されたとする。それは磁気テープとして役場に記録されると同時に県庁、内閣統計局へも電信で送られ、そこにある人口統計の記録に直ちに算入される。だから統計局へ行けば毎秒毎秒(といつても届けの出される時についてであるが)どこで幾人が生まれ、幾人死んで行くかが、いながらわかるということである。昔のように何年に一度かの国勢調査ではじめて正確な人口が(それも何カ月か後になつて)判明するのとは大きな違いである。同じように入学、卒業、就職、昇進等のあらゆる情報がそれぞれ関係方面へ時を移さず送られて直ちに算入される。だからもうこれから普通の意味の国勢調査はやらないだろう。
このようにいつでも斬新な正確な統計が手許にあるということは、いろいろな国家的計画を樹てるのに不可欠なことと考えられている。またこのよう資料をもとにして、数学的に、最も合理的な計画をたてることはオペレーションズ・リサーチといつて五○年前頃にも大分研究されていたが、今では電子計算機が自由に使えることと相まつて、これは非常な成果をあげている。生産計画なども非常に能率がよくなつて、昔あつたような生産過剰になつては操業短縮をやるような現象は見られなくなつた。
天気予報も各地から送られてくる気象の数値が中央気象台の計算機に直接入って自動的に計算されるので、予報は全く機械がやつてくれる、これも通信と計算機との結びついたよい例だろう。
このように通信が発達したための興味ある現象は一時危機を叫ばれていた交通地獄が、忘れたように消失したことだ。つまり、電話で何でも用が足りるので、誰もあまり出歩かなくなつたからである。また官庁や商社などもわざわざ都心地に集まる必要もなくなつたので、それらは東京周辺一帯にひろがつて、みな、その周囲に職員住宅をもつているから、通勤者は昔の三分の一ぐらいしかいない。
効能はこのくらいで大体わかつたので、次にこの至れり尽せりのサービスをする「情報公社」の現場つまり電話局や計算局などを見せてもらう。
どこの現場も似たりよつたりで、五○年前の電話局の機械室のように、機械が沢山ならび、その間を電線の束往来しているが、ちがうのは、ここは全く静かなことだ。どこにもガタガタ働くものはなくたゞ、パネルにならんだラップが目まぐるしく明滅するだけである。技師の話では、このランプもほとんど不要なのだが、万一故障のとき、しらべる助けになるからついているのだそうだ。
蓋をあけて中を見せてもらう。何か細い線が、縦横、斜に無数に、しかし整然と織りなして、それらの交点に、何か玉のようなものがあるようだがよく見えなかつた。とにかく恐ろしく細かくできていて正しく脳の中を見ているような気がした。これらの装置は大部分が記憶につかわれるのだそうである。なるほど、電話局の機械は、その局の何十万の加入者の電話番号簿を全部暗記(?)しているから、立ち所につないでくれるのだとうなづいた。
これだけの機械が故障をおこしたら大変だろうときいて見たが、このように、動く部分のない「電子的」な装置にしてから、保守はまるで楽になり、故障もほとんどないそうだ。しかもすべての装置に少しづつ予備があり、故障になると自動的に予備のものに切換るので、ほとんど業務に支障をきたさない。そこで数十万回線を受持つ大きな局でも局員は二人か三人しかいない。
銀行、保険会社などにあるのも大体似たような機械だそうだ。たゞこちらは人間を相手の仕事なのでやはりかなり多勢の人がいるが、計算、記帳のような機械的仕事は一切しないし、新入社員は札束を数えることを練習する必要もない。
所で一番心配になつたのは、こんなに何でも機械がやつたら大部分の人は仕事がなくなるだろうということである。きいて見ると、たしかに無職者はずいぶん多いそうだ。今では仕事といえば教育者、科学技術者、芸術家が数の上では大部分である。しかし社会保障制度が行き届いているから、これらの人も相応の生活はしていて、生活の不安はないのである。もつとも、こうなるまでには一時はずいぶん混乱した時代もあつた。今はとにかく生活の保障だけはできて、多少落付いたが、失業問題は解決したのでは決してないといわれている。「人はパンのみにて生くるものにあらず」という古いことわざが、今日、つまりすべての人にパンが与えられるようになつた今日ほど明瞭にわかつたことはないと人々はいう。失業者をどう導くかは五○年前とは別の意味で為政者の最大の課題となつて残つているのだ。
まだ色々知りたいことがあつたが、こゝで夢はさめてしまつた。さめてから考えれば、夢は要するに夢で理屈に合わない所が多いのは当り前である。もつとも、それにしては、妙に理屈つぽい夢らしくない夢だつたようにも思えるが、また、これはかなり楽観的な夢だというかも知れない。
オートメーションの発展は、原子力と共に自然の勢であつて、誰もこの潮流を止めることはできないのだとすれば、少くとも、この夢が現実となることを望んでやまないのは筆者だけだろうか。この夢とは正反対の悲惨な現実がもたらされる可能性がないとは誰も保障できないのだから……[東大助教授]
The comments to this entry are closed.
Comments
50年前の高橋秀俊先生の、オートメーション予測の記事、すごいですね。
さすが先生です。こんなお宝記事が残っていたなんて。ありがとうございました。
Posted by: Mike | 2006.05.28 06:27 AM
Mikeさん、
よくぞここを見つけてくださいました。秀俊はインターネットを見ることなく亡くなってしまいましたが、あの頃すでに予想していたのですね。
通勤ラッシュの方は全くアテが外れてしまいましたが。
Posted by: のぶ | 2006.05.28 12:37 PM
はじめまして。計算機の歴史に興味があり、いろいろと調べていたところ、こちらの記事に行き当たりました。大変興味深く拝見いたしました。
技術的な進歩の考察もさることながら、科学技術が社会生活に与える影響まで考えが及んでいるあたり、さすがはロゲルギスト、高橋秀俊先生だと思いました。
残念ながら、今や社会保障制度の根幹が揺るぎかねない事件が多発しています。先生がご覧になったらなんとおっしゃられただろうかと、役所の効率化がおくれた原因を考えずにはいられませんでした。
貴重な資料を公開していただきありがとうございました。
Posted by: sio | 2007.06.10 12:18 AM
sioさん、コメントをありがとうございました。
50年前に書かれたものとは思えないところもあれば、いかにもそろ頃らしいところもありますね。パソコンやインターネットのことが予想できなかったように進歩の「スピード」は予想をはるかに越えていましたが、「方向」は当たっていたようです。
Posted by: のぶ | 2007.06.10 12:25 AM