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2005.08.21

【放射熱日記 2005/08/21】またMaxwellのTheory of Heat

James Clerk Maxwellの "Theory of Heat"のことは、前にもここで書いたのだが、その後Braggの"Concerning the Nature of Things"の方に気が向いていたこともあって、いまだに全部通しては読めていない。

もともと放射熱が目当てだったので、"Radiation"とあるところを拾い読みしていたのだけれでも、きのう、ようやくChapter XVIのRadiation というところを読み始めた。"On Radiation"というはじめの区切りでは、放射は熱とは言っても光や音に近い性質がある、という話から始まっていて、興味はそそられるがやや難しい。10ページほど後に"On Prevost's Theory of Exchange"という区切りがあった。Exchangeといわれてもピンと来なかったのであるが、
「物体は、近くに冷たいものがあろうがなかろうが同じように放射を発する」ということが、しつこく書いてある。おお、これこそ、放射熱を調べはじめからのぼくの発見のひとつではないか。冬の放射冷却が「宇宙の絶対零度のところに〈向かって〉放射する」という説明に疑問を持ったところからはじまったこと。「放射に相手なんているの?」と。

このことをPrevost's Theory of Exchangeというらしい。日本語では「プレヴォーの熱交換の法則」というのが見つかったが、この名前が出てくるページはあまり見つからない。

放射が電磁波であることを考えれば、相手がなくても伝わることは、あたり前といえばあたり前の話なのだけど、そもそも放射熱のことをわかりやすく書いたものが少ないので、こんなこともあまり書かれていないのではないかと思う。

暑さのために、本を読み始めてもダラダラして寝ちゃうことが多かったのだけど、ここを見つけた時は、思わず正座して読み続けてしまった。さらには、この10ページばかりを訳してみた。

August 21, 2005 at 10:08 PM in 科学 | | Comments (0) | TrackBack (0)

板倉聖宣『虹は七色か六色か―真理と教育の問題を考える』

板倉 聖宣: 虹は七色か六色か―真理と教育の問題を考える

板倉 聖宣: 『虹は七色か六色か―真理と教育の問題を考える』(仮説社。2003)

「虹の色は本当に7色か?」ということは、時々話題になる。身もフタもない(でも正しいであろう)答えとしては「連続するスペクトルだから何色とは決められない」というのもあるが、ここでは、そちらの話ではなくて「文化」として「7色なのか6色なのか」という話。

15年ほど前に鈴木孝夫の『日本語と外国国』という本で「アメリカでは虹は6色らしい」という話を読んで、かなり強く印象に残っていた。2年ほど前に、板倉聖宣さんが「虹は7色か」という話をした時に「鈴木孝夫の話なら知ってるぞ」と思っていたら、話は、その遥か先を行くものだった。本の中で板倉さんは、虹の色の数そのものについてはともかく、アメリカでも「7色」とされていた時代があり、それが「教育」によって6色へと変わっていった過程を書いている。

この話で、ぼくがく感じたことは「目新しい話に飛び付く危うさ」とでもいうのだろうか、具体的には、「虹は7色」と多くの日本人は疑うことなく思っていたところに、鈴木孝夫その他の人たちによる「アメリカではずっと6色である、その理由は」などの新説を聞くと、ほとんど疑うことなく信じてしまうこと。「7色に決まっている」と思う人は、抵抗を示すかもしれないが、実際にアメリカの絵本などで6色にかかれているものを見せられれば「そうか、アメリカではそうなのか」と納得するに違いない。さらには「アメリカ人は日本人に比べて色彩感覚が鈍いので「青」と「藍」を見分けられない、などという話ももっともらしく聞いてしまう。

板倉説によれば、ニュートンが(非科学的な理由から)7色を主張して、それが広まっていたところに、ある学校教師が、実際には6色に見えることを実験で示して、それ以来アメリカでは6色説が主流になっていることや、日本でも、かつては6色だったことがあるという。

もちろん、この「新説」にも「飛び付く」のは危険なのだけれども、少なくとも以前の説と比べて調査の度合いが深いことは間違いない。ニュートンが7色を主張した話は、アメリカの論文で確認することもできる。
http://www.zianet.com/rainbow/frcolor.htm

ある話を「信じるかどうか」については、いろいろな注意点を考えているのだけれども、特に気をつけているのが「自分にとって都合の良い話には気をつけろ」というもの。
「うまい話には気をつけろ」というのは昔から言われていることなのだが、お金やモノにからまない話だと、ついつい信じてしまうのではないだろうか。ぼくの場合は「定説をくつがえす、ちょっと面白い話」が要注意。「みんなが7色だと思っている虹が実は6色だ」などというのは、なかなか魅力的なので気をつけなければならない。

August 21, 2005 at 01:51 PM in 書籍・雑誌 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.08.17

【放射熱日記 2005-08-17】 スターリングエンジンを太陽熱で回す

胃と腸の内視鏡検査を受けるために「下剤」「腸内洗浄」と続いて空腹状態が続く。病院に行くまでの間に、前からやりたかった実験に手をつけてみた。

先日の仮説実験授業の会で「低温度差スターリングエンジン」というものを手に入れてきた。スターリングエンジンにもいろいろあるが、これは別名「コーヒッカップエンジン」とも呼ばれるもので、わずかな温度差(20度程度)でも動くのが特徴。栃木県のYさんが自作したもの。

VFMI0177

写真の「八角形」の部分の上面と底面との温度差を利用して動く。
コーヒーをいれたばかりのカップの上に載せると、スイスイと回る。
底面で暖められた空気が上面のアルミ面で冷やされるという仕組み。

コーヒー(お湯でもいいが)で動くのはあたりまえなのだが、実は
同じ機械で「上面を暖めて」回すこともできるという。上面を太陽光に当てて暖めて、底面を冷やす、とまでいかなくてもあまり熱くならないようにしておけば、コーヒーカップの時とは逆の「温度差」が作れるというわけ。

上面も底面もアルミ板でできていて、このままだと太陽光を反射してしまって暖まらない。作ってくれたYさんは黒いゴムシートを載せてやったそうですが、ぼくは大胆にも黒く塗ってしまうことにした。こうすれば太陽熱をよく吸収する。(コーヒーカップの時に載せた時には、ここが冷却側になるのだが、その時も黒い方が都合が良いはずアルミの金属面は放射率が低くて、なかなか熱が逃げないが、黒く塗ることによって放射率が高くなるということは、ここ一年の放射熱ハマリのおかげで明白)

100円ショップのアルミ皿に載せてイザ外へ。皿の上に濡らしたペーパータオルを敷いた上にエンジンを載せて、底面が冷えるようにした。

まわらない。

黒く塗った面は暖くなってはくるが、イマひとつ。アスファルトは50度くらいになっているのに、37度くらいまでしか上がらない。もちろん雲が出てくると全然ダメ。そうこうするうちに、皿の方も暖まってきてしまった。皿はアルミであっても光沢面なので、日光が当たってもなかなか暖まらないのだけど、手で持っていたから体温で暖まってしまったのかもしれない。
路上でこんなことをやっていたので、通りがかった近所の人が「それは何ですか?」と近づいてきて、しばらく話をした。「スターリングエンジンは、名前だけは聞いたことがあったのですが、見るのは初めてです」とのこと。(ふつう、そうか)「コーヒーカップの上で回るものだが、今は太陽熱で回そうとしている」と説明したら「コーヒーカップだと回るんですか?」と聞くので「そりゃもうよく回りますよ」と話した。

こんな会話も面白いけど、やっぱり落ち着いてやりたいので、今度は庭でやろう。

August 17, 2005 at 10:17 PM in 科学 | | Comments (1) | TrackBack (2)

2005.08.16

靖国神社について書いた

夕刊フジBLOGに
8/15 緊急リサーチ「靖国参拝」―小泉首相は意固地になりすぎ

という記事がでています。

夕刊フジ本誌には8/8に掲載されたもので、夕刊フジと、iMi(いみ)ネットというネット調査サービスの共同企画で、全国3381人にアンケートした結果をもとに書かれています。紙面では署名記事だったので、書いちゃいますが記事を書いたのはぼくです。

靖国神社に関しては、もうあちこちの新聞、雑誌に出ることはわかっていたので、どうやって特徴を出そうか悩んだ末に「回答者がどれほど靖国のことを知っているか(知らないか)」を調べて、さらには、回答していくうちに知識が身につく、ということを考えました。そのネタとして、最適だったのが、参考文献として挙げられているこの本です。

板倉聖宣・重弘忠晴『靖国神社・そこに祀られている人びと』板倉聖宣・重弘忠晴『靖国神社・そこに祀られている人びと』(仮説社)

この中から4つの問題をそのまま出題しました。「アンケート」の答えには「正答」はありませんが、これはクイズのようなものなので、回答する都度、正答と解説を表示しました。

アンケートの最初と最後に「小泉首相の参拝をどう思うか」という同じ質問をしています。解説(教育?)の効果で変化がでるか、というのが狙いでしたが、「無関心派」の半分は、賛否どちらかに移行しました。

思想を操作するためにやっているのではないので、質問や解説は極力「中立」なものにしましたが、それでも「何でこんな誘導するような調査をするのだ」という意見もいただきました。

この記事を書くために、あれこれ靖国のことを読んだおかげで、今年はテレビや新聞の靖国報道をいつになく、よく見たり読んだりしました。

紙面の記事(スキャン)はこちら↓をクリック

iMiネットとしての記事と集計データはこちら↓

http://www.imi.ne.jp/imi/cgi/cap.cgi?1+pr050808.tpl

結局、小泉さんは8月15日には行かなかったんですねえ。

August 16, 2005 at 05:04 PM in 日記・コラム・つぶやき | | Comments (5) | TrackBack (5)

【放射熱日記 2005/08/16】「暑さ」3種

ここ東京での「暑さ」は、3種類に分けられると思う。

1.空気が暑い
2.湿気で暑い
3.太陽の放射が暑い

1.空気が暑い
 気温が高ければ暑い、これ当然。とにかく体のあらゆるところに作用するから暑く感じるし、物かげにかくれようと、室内に入ろうとその気温なりの暑さか襲ってくる。

2.湿気で暑い
 いわゆる「ムシムシする」というやつ。湿度が高いということは空気中の湿気(水蒸気)が多いということなのだけれども、あのムシムシするのは、水蒸気そのものがベタベタしているわけではない(誰もそんなこと思わないって?)。湿気が多いと汗が蒸発しにくくなるので、体の熱が逃げなくて暑く感じるのだろう。

3.太陽の放射が暑い
 夏の太陽の光を浴びるとこれはかなり暑い。気温は30度でも、道路のアスファルトや塀が50度以上になることもザラ。体で直接受ける光も暑い。麦わら帽子や日傘はなかなか良さそうである。
 直射日光の暑さは「日が当たらない」ところにいけば瞬時に避けることができるのが救い。日傘もそうだし、木陰でも何でも、とにかく直接日が当たらないところにいけばOK.窓ガラスは日光を通してしまうので、家の中でもガラス越しは「放射が暑い」。

「暑さ」の種類の違いを感じたのはアメリカのカリフォルニアにいた時のこと。夏は思いきり暑くて、うっかりひなたにクルマを駐車しておくと、ハンドルやシートが触れないくらいに熱くなる(ハンドルを持ちつつ発信して、回そうとしてアチチということもあり)。外を歩いていても日に照らされると暑くてたまらないのだが、日陰に行けば気温が高くても涼しい。これは「湿気がない」からだろうとは思っていたが、その結果が汗が乾きやすくて涼しく感じるのだろう。湿度の低さによる「涼しさ」は、ちょっと不思議で、空気中の水蒸気の量(絶対湿度)が同じなら、気温が高いほど相対湿度は低くなる、つまり「モノが乾きやすくなる」ので、湿度が高い部屋で電気ストーブをつけて、「涼しく感じる」方法もあるという。相対湿度が下がるのは事実だけれども、それによる爽快感が室温の上昇による不快感を上回るのかどうかは不明。

東京の夏は「三拍子揃っている」ので、日陰にいって「3」を避けても「1」と「2」があるのでまだまだ暑い。風が吹くと涼しいのは何故だろうか? 冷たい風が来るのなら涼しいのは当然だが、同じ温度の風であっても有難いのは、
・体温で暖められた体表面近くの空気が入れ替わる
・汗が蒸発して「飽和水蒸気量」に達した体表面近くの空気が入れ替わる
などのためなのだろう。

August 16, 2005 at 04:33 PM in 科学 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.08.11

学習意欲逓減の法則

2005-08-11現在Googleで「"学習意欲逓減の法則"」を(ダブルクォートで囲んで)引くと、1件も見つからなかったので、タイトルにしてみました。2日後くらいには、ここがひっかかるようになるでしょう。

「学習意欲逓減の法則」とは、板倉聖宣氏が提唱したもので、自ら編集代表をつとめる雑誌『たのしい授業』(仮説社)の創刊号(1973)の中に、

「学習意欲逓減(ていげん)の法則=教育が普及すればするほど学習意欲は低下する」

と書いています。

もともと学習意欲というものは先駆者意識,エリート意識によって大きく左右されざるを得ないのです。ですから,「学習意欲というものは、その事柄についての教育が普及し,学習の物質的条件がととのえばととのうほど〈必然的に〉低下する」という法則性に支配されているのです。(略)
 そのことを忘れて,ただやたらに昔のエリート教育の内容を大衆化しようとしても,それは学習意欲をおとろえさせ,授業を無気力なものにさせ,ついには生徒の反抗をよびおこすものにもなってしまうのです。(板倉聖宣『たのしい授業の思想』仮説社, 1988に収録)

以上は、中一夫『「学力低下」の真相(下)』『たのしい授業』2005.08から再引用したものです。中さんは東京の公立中学校の理科の教員ですが、様々な研究をしている中のひとつとして「学力」の問題を深く研究しています。

中さん、板倉さんが研究している「学力問題」は、大きな話なのでここでぼくが解説できるようなことではありませんが、「学習意欲逓減の法則」の部分だけについては、以前に板倉さんの本で知って以来,注目していたのです。

かつては、
・勉強して上の学校に行けばお金持ちになれる
・友人や親も知らない知識を得ることができる
などが「学習意欲」の元になっていたけれども、今は「親は大学を出ているけれども、そこで学んだことが役に立っているとは思えない」と子どもが感じているとすれば、単に勉強をすることやランクの高い学校に行くことが、学習意欲を高める要因にはなりそうもありません。

「学校で習ったことがたいして実生活の役に立たないらしい」という話は、子どもの頃から,おそらく誰でもが感じていたことだと思いますが、キチンと説明されたことはありません。「いつかは役に立つかもしれない」とか「とりえあず受験/単位取得に必要」ということでごまかされていたような気がします。

この法則で考えれば、「誰もが役に立つと思っていた頃のやり方」を、今でも続けているからそうなっている、ということかわかります。

「じゃあどうするんだ」といわれると、簡単にはいかないのだけど、
・あとで興味がでてきた時に勉強できるための
-基礎知識
-意欲
-相談できる人
を持つことではないでしょうか。はい、それをまた「どうやって」なのだけど、一般人のほくとしては、こんなことを考えているだけで気持ちはラクになってきます。

August 11, 2005 at 02:44 PM in 日記・コラム・つぶやき | | Comments (6) | TrackBack (0)