創造論のおかげ
リチャード・ドーキンスの"Blind Watchmaker"(和訳は『盲目の時計職人』)という本を読んでいる。ダーウィンの進化論に関わる話で、かなり面白い。
ひと口に進化論といってもいろいろ難しいようで、ぼくもまだほとんどわかっていないけど、いくつかわかったことがある。
・いきなり変異したのではなく、段階を踏んで変わってきた
・そう言われてもなかなか理解できないのは、要した時間があまりにも長くて、秒、分、時、日、月、年単位の感覚では想像がつかないから
・種は目的を持って作られたわけではなく、突然変異によってできたもののうち、子孫を残しやすいものがたまたま残っただけ
などなどなど。
進化論者の中にもいろいろ派はあるらしいし、難しいことはわからないけど、とにかく面白い。
さて、創造論とか「インテリジェント・デザイン(ID)」というのは、進化論をまっこうから否定する。「論」とつけるのもためらわれるようなおとぎ話で、進化論のさまざまな研究成果を見るにつけ、「偉大な研究をあんなもの(創造論)が批判すること自体が失礼」と思う。
ところが考えてみると、ぼくが今進化論に興味を持っているのは創造論やIDの話を知ったからなんですよね。進化論のことはもちろん前から知ってい たし「どうやって魚から人間ができたんだ」くらいの疑問は持っていたけど、それ以上知ろうとも思わなかった。それが、創造論がきっかけで本を読むように なったのだから皮肉なもの。特にドーキンスは「アンチ創造論」的な文章をたくさん書いていて、創造論者からもターゲットにされている。
昔ながらの創造論は単に「神がおつくりになった」くらいの話で、進化論を直接批判することもなかったので何の役にも立たなかったのだけど、IDは結構細かいところを突いてくるので、進化論を勉強しないと、うっかりすると論破されてしまうのだ。
「『目』のような複雑なものが、自然選択の結果できるはずかない」(だから、知的なものがデザインしたのだ)
「段階的に進化したというが、「半分の目」など役に立たないから、おかしい」
などと言ってくれるので、それに反駁するかたちでドーキンスが解説してくれるとわかりやすいのだ。
ドーキンスにはスティーブン・J・グールド(故人)という、いわば論敵がいて、ぼくはグールドの方が好きだったのだけど、今はとりあえずドーキンスを読む。『ドーキンス対グールド』などという、けしかけるような本もあるのでいずれ読むつもり。
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