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2008.02.13

不公平感というもの

「経済格差に不満があるか」という調査をしたら、日本人の83%が「不満」と答えたというニュースがあったので、それは格差じゃなくて「自分の経済状態」への不満じゃないのかなと思ったら、質問は、
「国民の間に豊かさが十分に公平に行き渡っていると思うか」
だそうなので、たしかにそれなら純粋に格差を聞いていることになる。

個人としては、人のことなどあまり気にしないと言ってもいいのだけど、「日本としてどうあるべきか」と問われれば、「問題がある」と答えたくなる気持ちもわからなくはない。それでも「不満」とは答えないだろうな、と思ったら、実際の選択肢は「全く公平ではない」(33%)と「あまり公平ではない」(50%)だというから、別に「不満」と言っているわけではなかった。
韓国では86%、 イタリアとポルトガルが84%、フランス78%、英国56%、米国52%だそうだから、「大して変わらない」という印象。

「Skeptic」マガジン主宰のMichael ShermerがScientific Americanに書いている「The Mind of the Market」によると、人類進化の歴史の99%は狩猟民族として、何十人か何百人かの集まりで暮していたので、われわれの心理は必ずしも現代社会をうまく判断できるように進化したわけではないそうだ。

その一例として挙げられているのが、最後通牒ゲーム(ultimatum game)というもの。
AさんとBさんのふたりで1万円を分ける。分け方はAさんがBさんに対して自由に提案できる。9:1でも5:5でも自由に決めてよいが、Bさんが拒否したら2人とも1円ももらえない。BさんがOKすればその通り分けられる。

Bさんにすれば、1000円だろうと1円だろうと「拒否(=ゼロ)」よりはマシなのだから、(0円以外)必ず承諾するのが「合理的判断」のはずだが、実験してみると、Bさんが承諾したときの平均値は「7対3」あたりに落ち着くらしい。Bさんの取り分が3割以下だと「不公平なくらいだったら何もいらない」という人が増えるということ。誰が「不公平」と言うのかといえば、心の中の「相互利他性」(reciprocal altruism)だと。こういう道徳心は脳にしっかりと組み込まれている(そうでない脳は生き抜けなかった)ようで、猿でもそんな習性を示すとか。

ちなみに、ぼくがBだったら1円でももらうが、Aだったらどうするだろう。などと考えているうちに、この「実験」というのが本当にお金をもらえるのか、単なる「ゲーム」だったのかが気になってきた。お金をやりとりをともなわないゲームでは本当のところはわからないのではないかと思う一方、お金をやりとりするとしても、現実にはそう簡単にはいかないだろう。Bさんはとりあえず7:3で手を打っておいて、あとでもっとくれと言うとか、Aさんは「あとのことを考えるとやっぱり半々だろうな」とか。ゲーム理論では結構有名な実験らしいから、そのあたりはいろいろ考慮されてはいるのだと思うけど。

同じくゲーム理論に「囚人のジレンマ」というのがあって、どうみても理不尽な行動が「合理的」ということになるのだけど、「1度きりの取り引き」で、その後恨まれたり後悔したり非難されたりすることが一切ないという前提は、現実にはありえないので、直感とは違うのだろうと思う。最後通牒ゲームにしても、そんの場面がリアルに起こるとしたら、金持ちの道楽で人を試すような場面くらいだから、これをもって「人の公平性に対する考え方」がわかるのかどうかは疑問。

ゲーム理論はともかく、公平を求める心が人間に組み込まれているのは確か。でも、そんなこと実験しなくてもわかるか。

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