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2010.01.20

「弁償」というイヤな言葉

「弁償」なんて、結構むずかしい言葉だと思うのに子どもの頃から知ってます。「あ、壊した、べんしょうしろよ」みたいに。周囲の子どもがヒネていただけかな。

それはともかく、人の持ち物をなくしたり壊したりすると、故意ならもちろん過失でも何らかの弁償をするのが普通です。

これが業務上、会社に与えた損失の場合はそんなことはありません。取引きで1億円損を出したからといって、1億円払えとは言われない。

微妙でいやらしいのが、「非営利的活動」の中で、損害を出した場合です。

たとえば、同好の集まりなどで、お金を集金する係の人が、うっかり1万円落としてしまったら、何となく「1万円弁償する」ような雰囲気になりませんか。忘年会の幹事さんが、事前に集めたお金をなくしてしまったとか。

もちろん「人による」とは思いますし、あまりに金額が多いと、みんなが助けてくれそうですが。

たとえ無償でも、役目を引き受けたからには責任がありますから、 お金をなくせばそれなりに罰があってしかるべきですが、それは「1万円なくしたから1万円の罰金」というものではないでしょう。使い込んだわけじゃないんだから。

逆に、幹事さんの工夫と努力で1万円浮いた時に、それを全部もらう、と言ったら非難されるでしょう。

「そんなこと起きないよ」という人も多いでしょうが、「弁償」するハメになる理由のひとつが、「それ以外の解決方法が面倒」だからだろうと思いま す。会社であれば、特別会計なりから「損害料」を出すでしょうが、みんなから集めた会費だったりすると、「500円ずつ追加徴収」なんて、なかなかできな いでしょう。「面倒だから自分で払っておくのがラク」と思う幹事さんもいるでしょうね。

名案があるわけではないけれど、そういうことが起きませんように。

変化形として、「友人に預けた物品がなくなった」というケース。その人が使うために「貸した」のではなく、例えば修理に出すために「託した」とき です。これは実話があって、その人は「弁償します」と言ったのですが、結局ぼくの車に置き忘れていたことがわかって解決。もちろん、出てこなかったとして も、一切の弁償などもらうつもりはありませんでした。これは誰でもそうかな。そういう思いをさせてしまうかもしれない、ということをよく考えて頼むべきで しょうね。

とにかく「べんしょう」という言葉はキライです。

January 20, 2010 at 10:47 AM in 日記・コラム・つぶやき |

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Comments

冷徹で非情な世界では以下のような事実があります
1)中谷宇吉郎の見解(昭和十四年「道義外交」)
「謝まるということは、自分の非を認めることである。自分で非を認めた以上、その弁償をするのは当然である。と、こういうふうに考えてみれば、なる程そう簡単に「済みません」などという言葉は使えないはずである。
 それと反対に、日本ならば、何も今さらいうまでのこともなく、謝まれば勘弁する、愚図愚図理窟をこねれば弁償でもさせてやろうというのが、普通である。
 この「謝まれば弁償しなければならない」という怪奇ではあるが、ちゃんと理窟の通っている道徳と、「謝まれば勘弁する」という日本の道徳との間には、考えてみると、かなり深いところにその差があるように思われる。この二つの道徳は、何も一方が間違っていて、他方が正しいというような種類のものではない。二つは全然別のものなのである。」

2)ノースウエストからの教訓(前田正晶「頂門の一針 1671号  09・09・16(水)」)
http://www.melma.com/backnumber_108241_4610652/

「謝罪しない文化:
私はNWの空港の係員たちは明らかに自分たちの手落ちと悟っていたと見ていた。これが我が国であれば素直にお客様にお詫びして善後策を講じるものだ。さらに、謝罪されたお客がそれ以上厳しく追及しないだろうと思う。これが我が国の美しい謝罪の文化である。

だが、何度も言ってきたように、彼らは”I’m sorry.”と言って謝罪すること即ち「全ての責任を負って経済的な保証をもします」ということになる意味もあって、絶対と言って良いほど潔く自らの非を認めて謝ることはない。

しかも、間違ったと知っていても、まともな妥協案すら出してこないで、相手の誤り(あの場合私が間違っていたと主張した)を指摘するのである。これぞ「これを言うことで失うものはない」式交渉術である。

私は言う「これに負けてはならないのだ」と。しかし、彼らとこういう交渉をするのはそれほど容易ではない。彼らは学校教育で”Debate”を仕込まれているのである。私は「必ずしも、彼らは相手が日本人だから高飛車に出てきたのではない」と考えている。あれが「謝罪しない文化」なのだと考えている。これに負けることなく堂々と自己の主張を展開することが肝要である。」

Posted by: 田吾作 | Jan 20, 2010 5:38:15 PM

ども!弁償などという共通語を使うからのぶさんが違和感を持つのよねー、当地では「ばんばいせー」と申します。(^^)

Posted by: 岡崎 | Jan 30, 2010 10:30:23 PM

あるスジの人たちは「誠意を見せろ」と言うそうです。

Posted by: のぶ | Feb 1, 2010 8:27:10 AM

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