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2010.07.23

「英語嫌いを作る方法」について

内田樹ブログ
「英語嫌いを作る方法」
http://blog.tatsuru.com/2010/07/21_1832.php

内田樹のブログには面白いものが多いのだけど、これは特に興味深い記事だと思います。
(私の説明がまずくて伝わらないといけないので、是非原文をお読みください)

(楽天などの)「英語を社内公用語にする」件の話題なのだけど、その中で英語という教科の特殊性を指摘しています。

英語は中学校で教えられる教科の中で、もっともその実用性・有用性が確かな教科である。 英語ができる子どもとできない子どもでは、中学生の段階ですでに将来の年収に大きな差が出ることが高い確度で予測される。 そのような教科は他には存在しない。 因数分解ができなくても、古文が苦手でも、跳び箱が飛べなくても、料理が作れなくても、それによって、これができる人間と「将来年収に大きな差がつくだろう」という予測を立てる中学生はいない。 けれども、英語だけは別である。 英語は、それが「できる子ども」と「できない子ども」の間で、将来の学歴や年収に有意な差がつくことが予測される唯一の教科である。

「生活の役に立つかどうか」という話が英語ではよくいわれるのに、他の教科ではいわれないな、ということはよく思っていたのだけど「年収の差を中学生自身が予測可能」という洞察がすごい。

で、肝心なのは「実用性、有用性が明らか」なのに、学習意欲が高まらない、という点です。明らか〈だから〉というべきか。

そのような「有用性の高い教科」に対する学習の動機づけが、他の教科に比してむしろ弱いという事実はどうやって説明できるのか。
私はこれまでも繰り返し、学びにおいては「努力と報酬の相関」を示してはならないと書いてきた。
のだそうです。
学びというのは、「謎」によって喚起されるもの
であって、
これだけ「いいこと」があるよというふうに事前に努力と報酬の相関を開示してしまうと、子どもたちの学びへの動機づけは歴然と損なわれる。
というのです。

たしかに「これをやっておくと、将来いいことがあるよ」と言われて勉強するような子は、言われなくてもやるからなぁ。

ところで「英語ができると収入に〈大きな〉差がつく」というのは、どのレベルの英語力のことを言うのでしょうね。ぼくは「英語から日本語への翻訳」という仕事をしていますから、英語力を役立てていることには間違いありませんが、ぼくを含めて翻訳者で収入で〈大きな〉差をつけている人なんてごくわずかだと思います。(〈英語のできない英語翻訳者〉というものが存在するのなら、その人には差をつけられるだろうけど)。

会社勤めをしていた時も、収入に差がつくという実感はゼロ。できないやつから仕事が回ってきて面倒(な割に感謝されない)というのはあったけど。

そう考えてみると、中学生の英語嫌いの理由が本当にそこにあるのかどうかはわからないけど、少なくとも「努力するといいことあるよ」と言われても、殆どの子は努力しないことは確かでしょうね。

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